将軍も賞賛した百人町の星灯籠

二代広重(文久元年 1861年)

三代豊国 河鍋暁斎(慶応元年 1865年)
星灯籠
善光寺のあたりは青山百人町と呼ばれていた。これは忠成が、この辺一帯を鉄砲百人組の与力二十五騎・同心百人を住まわせていたことに由来す。旧暦の7月、各戸に盆灯籠を高々と掲げる「星灯籠」が明治の初めころまで行われていた。
善光寺のあたりは青山百人町と呼ばれていた。これは忠成が、この辺一帯を鉄砲百人組の与力二十五騎・同心百人を住まわせていたことに由来す。旧暦の7月、各戸に盆灯籠を高々と掲げる「星灯籠」が明治の初めころまで行われていた。