屋敷跡の大半は青山墓地へ

江戸乃華名勝会 青山善光寺
三代豊国 河鍋暁斎(慶応元年 1865年)

青山善光寺

約8万4千余坪の青山家屋敷跡地は明治5年、神式による墓地とされた。まもなく神仏ともに葬ることになり、東京府、市へと管理が受け継がれた。(昭和10年から正式には青山霊園という)
旧跡に指定されているのは明治の元勲大久保利通の墓だけであるが、日本近代史に名を連ねる政治家、文人、軍人、実業家、芸能人、科学者等々列挙にいとまがない。