市電が開通、商店街が形成される

諸国名所百景 東都青山百人町 星燈籠
二代広重(文久元年 1861年)
江戸乃華名勝会 青山善光寺
三代豊国 河鍋暁斎(慶応元年 1865年)

市電のれきし

江戸時代は厚木街道と呼ばれ、5街道に次ぐ重要な街道であったこの通りは、明治期の急激な交通機関の発達によって大幅な改正が行われる。明治22年に公示された「東京市区改正設計」がベースとなったが壮大すぎる計画と日清戦争で実現せず、明治36年に大幅な縮小修正案を公示。大正7年になってようやく一応の完成をみた。明治37年に、三宅坂から青山4丁目(外苑前のあたりまで)路面電車(市電)が開通、以後路線は拡大。明治の終わりには今の渋谷から内堀通りまで走っていた。自転車がようやく普及し始め、自動車はごくめずらしかった時代である。昭和43年までの約70年もの間、路面電車は人々の足として活躍していた。