成り立ち
梅窓院泰平観音堂の落慶式に合わせて、地下鉄外苑駅前を中心とした青山通りを挟み、青山南町4丁目、 北町4丁目の商店が共同売り出しを催し、成果を収める。
これを契機として商店会の組織が作られました。
これからの商店街
外苑前店会創立70周年、振興組合創設30周年を機に、今後さらにデジタル化の進む時代に対応できるよう検討を重ねて、ホームページをリニューアルするはこびとなりました。
2020東京オリンピック・パラリンピックも無事終了し、今後、様々な変化を見せるであろう外苑前地区という他に類を見ないスポーツ施設の環境や知名度を生かし、当商店街活動を有効にしてゆく所存です。
諸先輩が脈々と築き上げてきた『和と協』の理念の下、『郡上おどり in 青山』や加盟店での飲食を楽しめる『外苑前落語会』等様々な企画を実施して、当商店街をより良い形で発展させ、次世代に引き継いでもらえる下地つくりをできればと思います。
青山外苑前商店街振興組合
理事長 坂本 力
沿革
1951年 昭和26年 | 青山通りを挟み、青山南町4丁目、北町4丁目の商店が共同売り出しを催し、 成果を収める。これを契機として商店会の組織が作られた | |
1952年 昭和27年 | 青山4丁目商店会が発足、初代会長 野口嘉一(野口薬局) | |
1956年 昭和31年 | 2代目会長 平塚勇雄(種長) | |
1960年 昭和35年 | 3代目会長 川崎一生(川崎商店) | |
1961年 昭和36年 | 東京オリンピックのため青山通り拡張計画が決定され、商店会員の転出や廃業が出る事態となる。 やがて40m幅の青山通りに相応しいビル建設が目立つ様になり 昭和39年の東京オリンピックを迎える街づくりとなった。 | |
1964年 昭和39年 | 4代目会長 田中幸一(紀伊国屋) | |
1966年 昭和41年 | 町名変更となり住居表示に合わせて「外苑前商店会」と改名する | |
1970年 昭和45年 | 5代目会長 猪瀬久平(日酒販) | |
1978年 昭和53年 | 6代目会長 坂本泰久(中村園) 「青山外苑前商店会」と改名し、青山と協調する | |
1981年 昭和56年 | 創立30周年記念式典を開催 | |
1982年 昭和57年 | 7代目会長 小林敬三(橘屋) | |
1992年 平成 4年 | 道路のネーミングを公募「スタジアム通り」「熊野通り」「ボチボチ通り」が決定 | |
1993年 平成 5年 | 振興組合として認可「青山外苑前商店街振興組合」として発足 港区57商店会のうち第5番目の法人格となる | |
1994年 平成 6年 | 国の「ふるさと交流政策」を受け 郡上八幡町と協力して「青山」の地名の由来でもある 旧郡上八幡城主 青山家菩提寺 梅窓院境内にて第一回「郡上踊りin青山」を開催 現在も郡上八幡市との交流は継続 毎年行われている(コロナ禍のため2021年は自粛) | |
2005年 平成17年 | 地域の環境美化運動の一環として、商店街が専門業者を使った有力ゴミ収集事業開始 | |
2007年 平成19年 | 8代目会長 村林潤(ムラバヤシ商会) | |
2009年 平成21年 | 第一回 青山外苑前落語会開催 (増田屋) | |
2011年 平成23年 | 東日本大震災被災地支援で、宮城県亘理町へボランティアバスを出す | |
2012年 平成24年 | 9代目会長 坂本力(中村園) ハンガリー国より寄贈された「幸福のモニュメント」を時計塔広場に設置 | |
2013年 平成25年 | 落語会の会場を実相寺へうつす 「郡上おどりin青山」が20周年を迎える | |
2014年 平成26年 | 青山ベルコモンズ閉館 創立60周年記念式典 日本青年館で開催(11月18日) |
郷土史資料で見る青山外苑前今むかし
商店街憲章
私達は、先人が築き挙げてきた商店街を受け継ぎ、更なる発展を目指して努力してきました。また、防災や治安の維持、伝統文化の継承と新たな文化の創造などにも取り組んできました。 これは、今後この地で商業活動を行うすべての者が負うべき責務であり、その活動によって得られた福利もまた、等しく享受できるものであります。
私達は、この原理を確認し、ここに商店街憲章を定めます。
1,私達は、お客様が楽しく便利なお買い物ができるよう、商店街の環境整備に努めます。
1,私達は、地域のまつりや商店街のイベントに積極的に参加し、なごやかな交流のある文化の香りの高い商店街を築きます。
1,私達は、この憲章と商店街のルールを守り、連帯と協調のもと、秩序ある商業活動を行います。
港区商店街連合会
青山外苑前商店街振興組合