青山脳病院と斎藤茂吉居住の碑
青山脳病院と斎藤茂吉居住の碑
明治36年、斎藤茂吉、北杜夫兄弟の祖父によって今の南青山4丁目に大規模な精神病院が建てられた。ローマ式建築と称した本館は、全面にずらりと円柱が立ち並び、屋根には数個の尖塔と正面玄関の上には時計台がそびえていたが、当時まわりは野原。一躍東京の名所となったが、大正13年、火事で焼失した。この火事の様子も含め、この時代の青山脳病院を舞台に「楡家の人々」は描かれている。昭和2年に斎藤茂吉が院長としてあとを継ぎ、経営にあたる一方、アララギ派の中心として「赤光」「あらたま」などの歌集や多くの著作随筆を残した。現在は高級マンションが建っており、パーキング脇に歌碑がある。 では、茂吉が病院経営にあたり高利貸しの借金に苦しめられたという歌を。 「茂吉われ院長となりいそしむを世のもろびとよ知りてくだされよ」。